大人の発達障害(ADHD)が仕事でミスばかりし新卒3ヶ月で会社を辞めた話
おっす。
おら佐山。
今日は私が2016年4月に大学新卒で正社員入社した会社での話。
退職までの3ヶ月の間は研修→営業職→技術職という感じだったので、
その仕事でミスを連発し、大人の発達障害(ADHD)が発覚するまでの過程を書いていきます。
ADHD「いやん、めっかっちゃった!」
大学卒業後、オフィス用品の営業職へ(研修期間)
ADHDなんて言葉聞いたことすら無かった4ヶ月前、私は大学を卒業し
オフィス用品の営業職に就職しました。
私が営業職を選んだ理由は下記の通りです。
- 文系大学だった
- おしゃべりが好きで、語彙力の豊富さが長所だと思った
- わかりやすく説明するのが得意で営業に向いていると思った
- 発想力に自信があったので提案営業や企画職に興味があった
スポンサーリンク
期待と不安が入り混じり入社式を終え、すぐに研修で3週間千葉県に出張でした。
最初に必要な書類(雇用契約書とか年金手帳とか口座の手続きとか5枚くらい)
を期限外で提出したことはまだまだ入門編である。
研修ではほとんど商材についての座学がメインだったので、大学の延長上な印象しかありませんでした。
移動や電車の乗り継ぎなども、研修中は同期と常に行動していたので特に問題ありませんでした。
同期「いやー案外社会人ちょろいな!キャバクラ行くか!」
佐「おー行こうぜ!幕張攻めっかマジで~」
同「ひゃっほー!キャバクラ最高!」
嬢「ねえねえ佐山君は何の営業してんのー?」
佐「せ、せ、拙者こ、コピー機の営業を少々…」
嬢「へ、へえ」
いやプレイボーイ過ぎますね私。
ほとんど問題なく研修期間は終了しました。
ただ今思えばひとつだけ違和感を感じたことがあります。
実習でコピー機の部品を、展開図を見ながら組み立てたり解体したりしたのですが、
スタートラインは同じ未経験だったはずなのに自分が終わるころには同期たちは、
2周目を終わらせていました。
もとからかなり不器用だったため、その時はあまり気にしなかったのですが、
今思えば不注意(思考の分散)の症状が出ていたように思います。
展開図を見ながら実物を組み立てる過程で、
佐(えーと、図によるとこの赤いネジをくぼみにはめ込んで、あれ、この図のくぼみの部分は実物でいうどの部分指してるんだろ。あーここだここ。あれこのくぼみに何すんだっけ。あーネジだネジ。あれ入らないな。あ、青いネジだからか。うわ、皆2週目入ってるよ。同期と差がついたら出世争いに影響とか出ちゃうよなやっぱ。あれ、今図のどこやってたっけ)
わくわくさん「ねじぃ!」
もちろん似たような理由から極度の方向音痴でもあります。
大人の発達障害(ADHD)、営業職での苦悩
研修期間から戻ってくるといよいよ営業の業務が始まります。
入社した会社はバリバリの体育会系で、基本皆さんいい人ですが社長絶対主義ということもあり事務所の雰囲気はぴりぴりしてました。
最初は既存のお客様にアポを電話で取り、コピー機のクリーニングをしに行くという
簡単な業務から始まります。
お客様先でも自分ひとりなのでのびのび会話も出来ていました。
しかしこのあたりからどんどん人より仕事が出来ない自分が露呈されていき、
①一日のスケジュール通りに行動出来ない
大体1日4社ほど、電車やバスを乗り継いでまわっていくのですが、
何時にどこのバス停からどこのバス停に…大体これくらいに終わらせたら次のアポが13時からだから…
出来るカー!
有料のナビタイムさんを駆使して何とか改善していました。
②報告や質問するタイミングが分からない
上司が今忙しそうだから、ちょっと時間を置いて、他の事やろうかな。
いやでもその間に居なくなったら困るしな。そもそもこれは聞いていい質問なのかな。自分で考えたほうが良いんじゃ…
上「佐山さ」
佐「はい」
上「もっと気軽に質問してきなよ」
佐「助かります…」
③忘れたりうっかりミスが治らない
お客様の情報が書かれている書類を別のお客様のオフィスに忘れたり、
カバンごとお客様のオフィスに忘れたり。
元カノとのプリクラも捨てて辛かった思い出も忘れることにしたり…ふ
④人前で自分なりの応用をさらけだすことに異常な抵抗感
一番苦しめられましたね。
営業職は大抵「ロールプレイング」ってのをやります。
営業の予行練習です。
自分で考えた営業トークを元に、事務所で他の社員が業務をしている中上司と二人で行います。
私はこれが死ぬほど苦痛でした。
私(うわー、絶対社長聞き耳立ててるよ、上手くやらなきゃ)
社(あー、明日の会議何はなそう)
私(こんな言い回し考えたんだけど、絶対同期にセンス無いと思われる…)
同(もう少しで連休だ…)
私(げ、A子ちゃんまだオフィスにいたのか。聞かれてるならいいところ見せなきゃ)
A子(あーケツかいーなちきしょう)
気づけばこのロープレで色々考えすぎてしまった結果、次の言葉が見つからず、口をパクパクさせていました。
そうして仕事のミスも減らず、営業職から技術職へ異動を命じられました。
私「仕事 出来ない 検索っと…」
グーグル「そのワードだと発達障害で検索している人も多いよ」
私「いやそういう話ではないからさ」
大人の発達障害(ADHD)、技術職での苦悩
異動を命じられた私は服装もスーツから作業着に心機一転。
電話回線やコピー機の設置工事の業務に取り組み始めます。
苦悩は2点だけです。
①身だしなみが不潔になった
作業着で毎日出勤でお客様と会話もほとんどしないため髪型をセットするのが億劫に。
夏場にも関わらずシャワーは2日に1回。
後から遠まわしに指摘されましたが、フケが周囲に不快感を与えていたそうです。
②業務内容に全く興味が持てない
これがほとんど退職の決定打になりました。
技術職でキャリアを積むつもりも無いし、不器用だって言ってるだろ!
全く仕事を覚えようとせず、私はいつしか完全に孤立していました。
そうして私はようやく自分の異常さに気づき、
大人の発達障害という言葉を知り、病院へ行きました。
薬(コンサータ)も処方されましたがすでに手遅れで、
もうその職場に居場所はありませんでした。
なぜ大人になるまで発達障害に気づかないのか
恐らく症状が重度の方以外は成人して社会にでるまで自分が発達障害だと自覚できない人は多いのではないだろうか。
ADHDという病名自体が比較的新しいという事もあるが、おとなの発達障害者の多くは会社というコミュニティでの失敗を通して社会との繋がりが絶たれかけ、そこでようやく自分の障害を疑い出すのだろう。
学校だってコミュニティであり、たしかにADHDの症状が原因で失敗してきているはずなのに、どうして問題なくすごせて来れたのだろうか。
私の考えとしては、会社というコミュニティは、参加するのに給与が与えられるという点で学費を納める学校というコミュニティと大きく異なるからではないかと考える。
報酬が与えられるということは、当然「成果」が求められるだけでなく、
ADHDの症状による失敗の責任も私個人からコミュニティ全体のものとなる。
私のうっかりミスにより他の誰かの仕事が増え、もしかしたらいずれ会社の利益をも脅かすかもしれない。
さらに会社には卒業という概念が存在しない。
私がどんなにADHDの症状で迷惑をかけようが、解雇に値する失敗までいかない限りそのコミュニティに居座り続けることが出来る。
だから仕事が出来ない人は普通に嫌われる。
まだ学生の人は肝に銘じていてほしい。
学校では勉強が出来なくてもコミュニケーション能力に異常がなければ嫌われることは無いと思う。
ADHDでも私のように軽度なら恐らく違和感無くすごせるだろう。
しかし会社では、どんなに優しい人でも仕事が出来ないだけで平気で居場所が無くなる。
だから皆自分の失敗の原因を必死になって調べ始めるのです。
でも大人の発達障害の方に悲観してほしくてこんな記事長々と書いているつもりはありません。
次回の記事では私が転職して(パートですが)成功した話も紹介したいと思います。
関連記事
スポンサーリンク